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乳がんと妻と旦那

妻が乳がんになりました。【Vol2】~ その時、旦那がやるべきこと ~

第二回の今回は、どのように「乳がん」って分かったか。

もともと妻は、年に1、2回程、重い貧血症状が出てました。

その症状が出ると。目の前が真っ暗になり、吐き気&めまいで立っていられなくなるそうです。(妻談)

しばらく座って休むと、徐々に視界が回復し、また歩けるようになるとのこと。

妻は「貧血だから…」と言っていましたが心配でした。

10年以上も前からもっている症状とのことで、私も少し気にする程度に留めてました。。

そして、忘れもしない2023年11月。

妻がお風呂から上がった直後、あの症状が…

「気持ち悪いから横になる」

と、頭も乾かさずに横になる妻。

ただ事じゃないと思いつつも、出来ることがない💦

ただただ、妻の体温を下げた方が良いのかなと思い、うちわであおぐくらいしかできない。

でもこの日は特別でした。

めまいと吐き気だけではなく、息苦しさもありました。

呼吸が浅く、過呼吸を思わせるほど。

過呼吸の対処法を試しても、楽にならず、深呼吸もできない。

 

時間が経って、息苦しさは落ち着いてきたものの、依然として呼吸は浅い。

「明日、病院行こうね」

妻にそう言った。

病院嫌いの妻が珍しく素直に「うん」

 

相当しんどいんだなと感じました。

 

そして次の日、病院へ。

血液検査、心電図、胸のレントゲン

結果は後日とのことで、その日は漢方の五苓散(ごれいさん)をいただき帰宅。

 

そして検査結果当日にまた病院へ。

結果、どれも異常なし。

血液検査に至っては、長年貧血だと思っていたことが間違いだったことが判明。

血液検査の結果、貧血ではなかったそうです。

「検査してみないと分からないもんだね」

妻と私は同時に言いました。

 

じゃあ、あの症状はなんだったのか。

「起立性低血圧」

じゃないだろうか?という医師の診断でした。

確かに妻は極度の低血圧です。

あとは「食生活や不規則な生活による自律神経の乱れもあるのでは?」

ということでした。

まぁ、確かに不規則といえば不規則だったかもしれない…。

 

そして、この日はもう一つ。

妻が前から気にはしていた左胸付近のしこりについて検査の予約を取るという重要な用事がありました。

今までは、生理現象だからといって検査にいかず、やり過ごしていた妻。

40歳超えて、さらにこないだの症状…、さすがに妻も関係性を疑ったんだと思う、そう「乳がん」を。

妻は、意を決して「マンモグラフィー」をやると決断。

 

妻が病院嫌いの理由は、以前聞いたことがある。

「もし病気が分かったら日常が日常じゃなくなる」

「だったら知らない方がいい」

そう言っていた。

たしかに一理あるよ。

一理あるけどさ、

それ以上は何も言えなかった。

私自身も半分はその意見に賛成だったから…

 

そんな妻が検査をするって、相当追い込まれてたんだなと、

そして相当悩んだだろうなと、

そう思うと、自然と涙が溢れてきました。

 

そしてマンモグラフィー検査当日。

相当痛かったらしい。

そしてまた後日検査結果を聞きに病院へ。

 

先生からは、

「この白い影、乳がんだと思う」

 

妻も私も「えっ」

頭が真っ白に。

先生は「ただ、もっと詳しく見てみないといけないから精密検査をしましょう」

で、生検をすることに。

一週間後に生検の検査結果を聞きに病院へ行く。

やはり「乳がん」であるとほぼ確定。

 

乳がん専門医がいる病院をいくつか紹介され、今後の事を考えて一番近い大学病院へ行くことに。

それが2023年11月末の出来事です。

こうして妻は「乳がん」を告知されました。

あとはステージとタイプを調べる検査が必要とのこと。

 

大学病院へ行き、今後の検査の流れを確認。

PET CTとMRIをやって、詳しい「乳がん」のステージとタイプを知り、治療方法が決まるとのこと。

もう一刻も早く検査して知りたい。

自分の妻の「乳がん」はどのくらい進んでいるのか。

当然、本人の方がもっと知りたいはず。

大学病院の先生には最短で検査の予約を入れてもらった。

PET CTとMRIの検査が終わって、検査結果を聞きに行ける日が12月23日。

最初に「乳がん」って言われてから約一か月が経っていました。

 

もっと早くここまで来れないもんかと思いましたが、検査の混雑状況などで、私たちの場合はこれが最短でした。

運命の12月23日、奇しくも妻の誕生日は12月25日。

最悪の誕生日だけは避けたい。

「頼む!!」

「低ステージであってくれ!!」

「根治できる乳がんであってくれ!!」

 

結果は、、、

「ステージⅡb」

根治出来るステージでした。

リンパへの転移があり、さらに3.5センチまで大きくなっていました。

タイプは「ホルモン受容体陽性乳がん」で乳がんの中では一番多いタイプだそうです。

 

恐らく何年も前から乳がんは乳がんとしていて、成長を続けてたんだと思います。

もっと早く検査していれば。

病院嫌いの妻を無理やりにでも検査に連れていくべきだった。

果てしない後悔が私を襲いました。

自分を責めました。

でも、どうあがいたって過去は変えられません。

こうなってしまった以上、これからを考えなければいけません。

 

先生から今後の治療法は、抗がん剤を投与して、がんを小さくしてからガンの摘出手術、その後放射線やホルモン治療だそうです。

 

抗がん剤は2週間に1回、これを4回×2。

なので、だいたい16週間もの間、抗がん剤との闘いが始まります。

その始まりは2024年1月13日。

ここからです。

 

倦怠感、吐き気、脱毛、食欲不振などの症状が妻を襲っていきます。

一番怖いのは、抗がん剤による白血球の減少だそうです。

抗がん剤治療中はケガは出来ません。

通常の状態であれば何のことはない、少しのバイ菌やウイルスも、抗がん剤治療中の妻にとっては一大事です。

妻は、先人たち(ガンサバイバーのみなさん)の知恵を借りるべく、YouTubeやネットの情報を収集しています。

本当にありがたいですね。今の世の中、参考になる情報がたくさんあります。

その中で何が自分にとって良いものなのかの判断は必要ですが、ゼロからではないことがとてもありがたいです。

 

私たちが乳がんの告知を受けてもまだ冷静でいられているのは、この情報のおかげと言っても過言ではありません。

全てが当てはまるとは思いませんが、少なからず生き残ている方々の情報は安心材料になります。

こういう時って一番捨てちゃいけないのは、希望ですよね。

その希望を絶やさないように、私は出来る限り近くでサポートしていくつもりです。

 

次回は、ガンサバイバーの皆さんの情報を元に、事前準備をしていきます。

 

事前に用意した方が良いものは何か。

旦那側で必要な準備は何か。

その辺を書いていきます。

 

参考妻が乳がんになりました。【Vol1】~ その時、旦那がやるべきこと ~

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うちポケ管理人

筋トレとランニングが趣味な「うちポッケ」の管理人。 渡り歩いてきた仕事は数知れず!たどり着いたのがブログの管理人ということです! 「長期の休みがあったら何したい?」 「めっちゃブログ書きたいっ!」

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